渋谷で、お腹を満たした。心は、満たせた?。
こんばんは。もしかするとこんにちはでしょうか。
朝イチにこれをご覧になってる方はいなさそうですが、一応おはようございます。
渋谷に、宮益坂という坂がある。ご存知でしょうか。渋谷駅から上って行ってずっと行くと、表参道駅がある、そんな通り(坂)。
渋谷駅から少し上って行くと、「東京 たらこ スパゲティ」がある。「コンピューター」を「コンピュータ」と言われた時や「パラメーター」を「パラメタ」と言われた時と同じ、気持ちの悪さを感じる。
さて、またさらに少し行くと、神社がある。さらにさらに行くと、あった。豚の生姜焼き専門店、「しょうが焼きバカ」。
早速注文。食券制。
ご飯はサイズが選べるようだ。「大・中・小・特があります」と言われたので、「特」を選ぶ。言う順番、降順じゃないんだ。こんなに食べているようでは、豚さんの共食いになってしまう。ブヒー。
ここはあまりお客を待たせない主義らしい。あとでブログでも書いてみるか、と思っていたら、来た。良い香りだ。いただきます。
「白米『特』デカすぎバカ」とかに店名を変えれば良いのに、と思う。「ご飯小」と値段一緒でいいのかこれ。
美味しい。トロトロだ。白米に巻いて食べる。食べられる国宝だ。豚汁も美味しい。箸を休ませる暇がない。箸が労働基準法に抵触している。箸、よく働く。
不健康なので、マヨネーズもかける。吉田兼好。吉田不健康。ハハッ……
半分くらいいただいたところで、黄身をぱっくり。溶岩が流れ出る。豚は溢れ出る溶岩から逃げられない。それを捕らえて、口に運ぶ。簡単なお仕事だ。
味変した。贅沢をしている。日常のふとした瞬間に感じる贅沢。最後に七味唐辛子もかけて、フィニッシュ。ごちそうさまでした。
さて、店を出て、上ってきた坂を下る。先ほど登場したのに全く触れられなかった不自然な神社に来た。
午後8時前のこの時間だ、さすがに誰もいない。
2018年10月1日。忘れもしないあの日。あの日以来この場所には来ていなかった。必死に抑えていたのが、思い出してしまいそうで怖かったから。
その日、とある女性とここに来た。彼女は、境内の奥の方に僕を案内し、立ち止まって言った。「誰も来ないこの場所で本を読むの。場所お借りしますってここの神様に言うの。」
彼女は、賽銭用の5円玉を持っていた。ただ、レジであえてお釣りに5円玉が含まれるように支払うことはしないと言っていた。「ご縁」が感じられないと言う。そんなものなのかなぁ、と思った。5円玉は作るものではなくて、授かるものなのだろう。5円玉は、子どもだ。
境内で本を読む彼女は、その空間を完全なものにしていた。彼女がいて初めて、この神社は無欠な空間を完成させる、そう錯覚するほどだった。神様も彼女を歓待した。涼やかな風が、彼女の髪を揺らしていた。
あの日を最後に、僕は彼女と会わなくなった。好きだった。好きなんかじゃない、異常だった。
さあ、今日はどうだろう。何かこの空間が物足りない気がするのは、このご時世で手水舎が使えないからだろうか。それとも、別に理由でもあるのだろうか。
あの日、彼女の背を支えていた木に触れる。
何も感じなかった。
あれからもうすぐ、3年。