こんにちは。真面目な日記。

お久しぶりです。奉行です。

今年の東大受験が終わりましたので、2021年の東大日本史について少し感想とかを書きたいと思います。

 

まず、第1問について。

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昨年・一昨年と変わらず、大津透 教授の出題でしょう。大津教授が古代分野を執筆する、『新日本史B』が東大受験生にとって必携であることをまたもや痛感させられました。

最近の東進東大模試や、代ゼミ東大プレ第1問を見てみますと、的中を狙って、明らかに『新日本史B』からの出題と思われる問題が増えてきています。しかし、予備校側は東大に模試の問題を提供しているため、河合塾の直前模試や最終東(本)レ、各予備校の内部模試でない限り、的中は起こり得ないと思って良いでしょう。

『新日本史B』P.59〜60「儀礼の唐風化と格式」・P.63〜64「藤原北家と幼帝の誕生」が当問題の該当部分です。

資料文を読んでなんとなくは理解できるものの、読み取れる内容が多く、それらをどのように論理的に構成していくか、がかなり難しい問題だと思います。世界史/地理と合計で150分ですから、第1問にはせいぜい25分程度しかかけられないでしょう(筆者は、入試本番、19分で解答を仕上げて第2問に行きました)。その時間制約の中で、予備校が発表しているような解答例を提示することは不可能に近い。15点満点中、11点程度の得点を目標に第1問は取り組むべきだと思っています。しかしその際、『新日本史B』を普段から熟読しておくことで、及第点に達する答案を仕上げるのにかかる時間を短縮することはできるはずです。

また、言うまでもないことですが、過去問の研究は必ずやるべきです。例えば2021年の問題は、2014年・2019年の問題に通じる考え・知識を用います。

 

2014年 東大日本史 第1問

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2019年 東大日本史 第1問

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ただし、過去問をやりこんだ受験生にありがちなことを注意しておきます。それは、「解答が過去問の解答例に引っ張られる」こと。

東大は、原則同じ問題は出しません(1978年に出題された第1問の一部が1983年の第1問として出題された例外を除く)。つまり、資料文や設問要求は微妙ながらも変えられており、よって、同じ解答になることはあり得ません。いつかの資料文で出てきた「教科書で習ってないのに知ってる人名」が、また出てくることもあるでしょう。そういうときこそ、特にこの点については注意が必要です。いつかの問題を解き、予備校の解答例などを見て覚えた「かっこいい言い回し」。これも、振りかざさないよう注意しましょう。

最後に、第1問、自分なりの解答例を載せておきます。

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次に、第2問について。

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昨年はおそらく三枝暁子 准教授の出題でしたが、今年は桜井英治 教授の出題でしょうか。今回の問題に関しては、桜井 教授も執筆されている『詳説日本史B』より、『新日本史B』の方が珍しく参考になるかな、と思います。『新日本史B』P.97には、「荘園領主が幕府の法廷に地頭の不法を訴える場合もあった。」とあり、また、P.98には、「地頭請地頭請所といって,荘園領主の中には,一定の年貢を得るかわりに,現地の土地や人の支配をすべて地頭にゆだねる契約を結ぶものも現われた。下地中分や地頭請がおこなわれた荘園では,地頭は土地と人の完全な支配権を手に入れた。」とあります。そして、「地頭・荘園領主・荘民のあいだで荘園をめぐって対立が生じるのは,生産量が上昇し,その増大した富を獲得するためであった。」と、争いの背景についても記載があります。

今回の第2問に関して、実際受験した人のなかには、「資料文に書いてあること以外何を書けば良いのか…」と戸惑った人も多いことでしょう。この問題では、「地頭請」の正確な理解以外には、特段背景知識が必要とされているようには思えません。

このような、一見易しく見える問題こそ、書きたいことをまとめる日本語力、論理構築能力、そして最も伝えたい部分をズバッと突く力、これらが要求されていると見るべきでしょう。きっと、ほとんどの受験生の方針は同じで、同じようなことを書いているはずですから。あと強いて言うなら、「私は『地頭請』がわかってますよー!!」というアピールくらいしておいてもいいかもしれません。

について。荘園領主は、地頭が土地をたくさん開発しているので新しい土地を把握して、適切な年貢収入を得ようとしたのでしょう。できれば+になることを期待して。

について。教科書の説明にもあるとおりで、地頭の荘園支配は強化されていったのでしょう。それを、検注や開発とどう上手く結びつけるか、で点差が開くのだろうと思われます。

また、結論は、書かなければ伝わりません。伝えたいことはきちんと書きましょう。言いましょう。恋愛みたいですね(無視して…)。

最後に、第2問も、自分なりの解答例を載せておきます。

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次に、第3問について。

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昨年はおそらく村和明 准教授の出題でしたが、今年は牧原成征 准教授の出題でしょうか。牧原 教授がその編集協力者に名を連ねる『詳説日本史B』P.201が当問題の該当部分です。

について。基本題でしょう。2行という指定もあり、書くことが人によってバラバラ、という第1問のようなタイプではありません。17世紀後半の幕府財政が逼迫していた理由については、①明暦の大火後の江戸城と市街の再建費用(これを好機に、多くの寺を移転させたりしています)②元禄期の寺社造営費(幕府の権威に関わります)により出費がかさみ、さらにそのうえ③佐渡金山や石見銀山などの金銀の産出量が減少し、収入が激減していたことが挙げられ、これは東大受験生にとっては必須の知識でしょう。ちなみに、③が解答の要素になるような問題は2019年第3問でも出題されています(実際試験場で問題を見て解答する際、「2019年も金銀収入の減少書く問題あったよな…」と思い、一瞬書くことを躊躇いました)。

 

参考までに2019年 東大日本史 第3問

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これら①〜③を、制限字数(60字以内)で収まるように書けば、答案は仕上がるのではないでしょうか(ただし、当時、「米価安諸色高」の傾向が進展していたという事実を踏まえると、幕府の実質的な年貢収入は減少していた、という別の視点からの答案も書けると思います)。

について。2020年の第3問Aを彷彿とさせるような、典型的な資料文の読み取り問題ですね。『詳説日本史B』P.201注❶(最下段)が該当部分です。この部分を膨らませて作問したのでしょう。

手伝い普請」や「国役」といった歴史用語をどれほど入れればいいのか、はたまた全く入れなくとも、わかっていることが伝われば良いのか、その辺はよくわかりませんが、筆者自身は、東大がこのような問題の採点において用語の有無のみで点数を左右するようなことはないと思っています。

そんなことより、資料文の内容をそのまま抜き出したりせず、いかに自分の言葉でまとめ切れるか、が問われているように感じます。

例えば、資料文⑶の対応を、「自助努力に頼る」などの表現で簡潔にまとめることができれば、他の部分に字数を割くことができます。

「上流付近でお金を投下しなかったために、結局幕府が救いたかった下流付近に影響が出てしまった」という流れと、「では、幕府はなぜ下流付近を救いたかったのか」という視点がまとめられれば良いでしょう。

自分の書きたいことをまとめ、それらに優先順位をつけながら取捨選択して、解答を字数以内に収める。こういった訓練が日頃から重要になってきます。もちろん、「優先順位をつけるほど書きたいことがない…」とならないよう、教科書学習で手を抜いてはならないのは当然のことです。

最後に、第3問も、自分なりの解答例を載せておきます。

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次に、第4問について。

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昨年はおそらく山口輝臣 准教授の出題でしたが、今年は鈴木 淳 准教授でしょうか。後述しますが、別に誰の個性も現れていないような問題に見受けられました。

について。『詳説日本史B』P.282〜283「まず1884(明治17)年に華族を定め,華族の範囲を広げて,旧上層公家・大名以外からも国家に功績のあったものが華族になれるようにして,将来の上院(貴族院)の土台をつくった。」や、『新日本史B』P.247〜248「まず,政府は1884(明治17)年に華族を定めて公・侯・伯・子・男の5爵を設け,旧公家・大名に加えて明治維新の功臣など国家に功績のあったものも華族になれるようにした。これは,促成で列強の貴族に当たる層をつくり,将来の貴族院をつくる準備となった。」が当問題の該当部分です。

資料文⑴にある、「国家に偉勲ある者」を、自分の言葉で解答に盛り込み、そして彼らが、国会開設が約束されるなかで、貴族院の土台となった事実を書けば良いでしょう(政府は1875年に「漸次立憲政体樹立の詔」を出しています)(この視点が、2020年 東大日本史 第4問でも求められていたことは記憶に新しいと思います)。「国家に偉勲ある者」は、「立役者」や「功労者」、「功のあった人々」などと言い換えれば良いでしょう。

について。解答の方向性がそんなに割れることはないと思いますが、面白い問題でした。まず、問題文中の「隠居をして」の意味が汲み取れた受験生とそうでない受験生で、差が開いたかもしれません。「隠居」、つまり「家督を(息子などに)譲った」、ということですから、それに伴い子爵の爵位も息子に襲わせた、ということになります。つまり、高橋是清自身は爵位を捨てたわけです。こうして「華族の戸主(資料文⑷より)」としての地位を捨てた是清は、晴れて被選挙権を手にすることができたわけです。これで「隠居をし」た理由はわかりましたが、現に是清は貴族院議員ですから、わざわざ衆議院に鞍替えした理由を探らねばなりません。「この時期の国内政治の状況」を考えましょう。当時、是清が総裁を務めていた立憲政友会・憲政会・革新倶楽部護憲三派が中心となって、第二次護憲運動を進めていました。スローガンは、「普選断行・貴族院改革・行財政整理」。自らが先頭に立ってこのようなスローガンを謳うなかで、自分自身が華族でしかも選挙のない貴族院議員であることは、なんとも手前が悪かったことでしょう。これらの事実をまとめれば、解答になるのではないでしょうか。

AもBも、特に捻った問題というわけでもなく、超基礎事項の確認だけで「良さげな」解答が出来てしまうという点で、近年の第4問らしいなぁと思っています。

近年の第4問は、他の大問以上に、基礎事項の確認や教科書の精読が大きな点差を生む問題です。試験後、「ここをちゃんと読んでいれば…!」ということがなるべく無いよう、日頃から教科書精読を心掛けるといいかもしれません。

最後に、第4問も、自分なりの解答例を載せておきます。

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おわりに。

 

大受験は、日本史だけではありません。

まず、英数の対策です。日本史はその他、空いている時間で45点、50点を目指していくものです。

また、国語の能力を磨くことは、日本史、世界史、地理、数学の論述、和訳、すべての分野の能力を上げることにつながります。国語も抜かりないように…